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リチャード3世は金髪のイケメン? 遺骨が語る「真実」

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土人骨に基づき復顔されたリチャード3世の顔

 英国の文豪ウィリアム・シェークスピアらが、背骨が曲がり、手足がなえた醜悪な容貌(ようぼう)の持ち主として描いた、プランタジネット朝最後の王リチャード3世(1452~85)。その遺体と思われる人骨が同国中部のレスター市で見つかってから5年。DNA解析などで、全く予想されていなかった新たな歴史が判明しつつある。

 人骨は2012年、同市の駐車場で発見された。現在、そこには「King RichardⅢ Visitor Centre」が建てられ、出土地点をガラス越しに上から眺めることができる。

 駐車場の場所に元々、修道院があって「聖歌隊席にリチャード3世を埋めた」という記録がある▽男性で年齢は30~34歳、戦傷を受けている▽年代測定の結果、15世紀後半~16世紀前半の人骨と判明――などから、1485年のボズワースの戦いでヘンリー・チューダー(後のヘンリー7世)に敗れ、32歳でなくなったリチャード3世の遺骨と判断された。

 記録などによると、リチャード3世の身長は170センチ前後。ただし、遺骨は背骨が湾曲する病気にかかっていた痕跡が認められ、実際はそれよりも低く見えたと考えられる。狭い穴に押し込むように埋葬されており、両手が同じ方向に重なる状態で出土したため、手首の所で縛られていた可能性も。副葬品は一切なく、裸で埋められたと考えられている。

 調査に関わった考古学者のマシュー・モリスさんによると、人骨をコンピューター断層撮影(CT)で調べた結果、11カ所に傷があり、9カ所が頭だった。致命傷と思われる傷は頭蓋骨(ずがいこつ)で、一つは剣や矛のような武器による大きな切り傷、もう一つはとがった武器による刺し傷の痕だったという。

 興味深いのは、骨の炭素窒素同位体比分析の結果だ。これらの同位体の比率から、その人が生前何を食べていたのかを知ることができる。2~3年周期で生まれ変わる肋骨(ろっこつ)などを分析すると、1483年の即位後に高たんぱくの食事を取るようになった可能性が高いとわかった。記録では、リチャード3世はクジャクや白鳥などの鳥の肉、コイやカワカマスなどの淡水魚を好んで食べたことがわかっており、それと一致する。

 また、リチャード3世は肖像画では濃い茶色の髪と目を持つ人物として描かれることが多かったが、DNA解析からは96%の確率で青い瞳を持ち、77%の確率で少なくとも幼少期にはブロンドであったことがわかった。ただし、金髪は年とともに色が濃くなることが多いことから、即位時には茶色だった可能性もあるという。

 微妙な真実も明らかになった。人骨のDNAをリチャード3世の姉アンの子孫2人と比較したところ、DNAが一致。間違いなくリチャード3世の遺骨とわかった一方で、リチャード3世の曽祖父の兄ジョン・オブ・ゴーントから続く男系の子孫とは一致しなかった。このことは、ジョン・オブ・ゴーントの子のヘンリー4世以降のある時点で、公式の家系図に書かれた父親とは異なる父親を持つ子供が存在したことを示唆する。

 『悪王リチャード三世の素顔』(丸善プラネット)などの著書がある英文学者の石原孝哉(こうさい)さんの研究によると、リチャード3世はシェークスピアの戯曲などで、めいと結婚するために王妃を殺害した極悪人として描かれてきたが、ほとんどは事実無根か、後世の臆測だという。シェークスピアが戯曲を書いた16世紀後半は、リチャード3世を倒したヘンリー7世の孫にあたる、チューダー朝のエリザベス1世の治世下だったため、3世の悪逆非道ぶりを強くプロパガンダする必要があったようだ。

 復顔されたリチャード3世は細面のイケメン。遺骨の背骨は曲がっていたが、手足はなえていなかった。残された手紙などから、中部イングランドのアクセントで話した可能性が指摘されている。

 遺骨は家具製造業を営む子孫が作った棺に納められ、15年にレスター大聖堂に安置された。顔の模型などはビジターセンターで見学できる。「これを機に、リチャード3世の悪評が改善されるといいんだけど」とモリスさんは話した。(編集委員・宮代栄一)

2017年5月15日19時10分    朝日新聞デジタル