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一辺70m、全国最大級の巨大方墳…明日香村

文化

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出土した羨道跡の一部。石の抜き取り穴(手前)と排水溝が確認された(1月15日、奈良県明日香村で)

 大規模な石敷きの濠ほりが2015年に出土した奈良県明日香村の小山田こやまだ遺跡(7世紀中頃)で、古墳の横穴式石室に入る通路「羨道せんどう」跡が見つかったと、県立橿原考古学研究所が1日、発表した。

 調査成果を総合すると、同遺跡は1辺約70メートルの全国最大級の方墳だったことが判明し、同研究所は「小山田古墳」と名付けた。飛鳥時代では破格の規模で、被葬者は天皇(大王)級の人物だったことが確実となった。

 1・2~1・4メートル大の石を抜き取った痕跡が2・6メートル離れて2か所確認され、羨道の両壁とみられる。羨道の中央付近を通る排水溝の一部も見つかった。

 15年の調査で濠が見つかった場所は、古墳の北辺に当たるとみられ、今回その南方約67メートルで羨道跡が見つかったことなどから、約70メートル四方の方墳と判明した。
2017年03月01日 22時07分    Copyright © The Yomiuri Shimbun

 

 

 謎の遺跡、未知の巨大古墳だった 被葬者は蘇我蝦夷かも

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飛鳥地域の古墳の変遷

 

 飛鳥時代の巨大な石張りの掘割(ほりわり、濠=ほり)が出土した奈良県明日香村の小山田(こやまだ)遺跡で、石の抜き取り穴や排水溝など古墳の横穴式石室の痕跡とみられる遺構がみつかった。県立橿原(かしはら)考古学研究所(橿考研)が1日発表した。遺跡が7世紀中ごろに築造された未知の古墳だったことが確定し、「小山田古墳」と命名された。

舒明天皇蝦夷の?巨大古墳説強まる 奈良の小山田遺跡
 一辺約70メートルの飛鳥時代で最大級の方形の古墳の可能性が高まった。これほど巨大な未知の古墳の発見は異例だ。被葬者像をめぐり、7世紀前半に即位した舒明(じょめい)天皇(593~641)か、乙巳(いっし)の変(大化改新、645年)で滅ぼされた豪族の蘇我蝦夷(そがのえみし、?~645)との見方が出ている。

 2014年に県立明日香養護学校の校舎建て替えに伴う発掘調査で、多数の石材が張りつけられた掘割が出土。古墳の濠や居館、庭園などの見立てがあった。

2017年3月1日22時34分    朝日新聞デジタル

 

 

奈良・小山田遺跡は「最大級の方墳」 橿原考古学研究所

 石敷きの大規模な堀跡(7世紀中ごろ)が見つかった奈良県明日香村の小山田遺跡を調査している同県立橿原考古学研究所は1日、横穴式石室の入り口部(羨道)の遺構を発見したと発表した。羨道の位置などから一辺が約70メートルに達する巨大方墳とみられることが判明。蘇我馬子の墓との説が有力な同村の石舞台古墳(一辺約50メートル)を上回り、最大級の方墳という。

 同遺跡を巡っては墳丘が失われた未知の方墳との見方に加え、苑池(えんち)や居館跡の可能性を指摘する声があった。同研究所は今回の発見により遺跡名を「小山田古墳」に改め、引き続き発掘する方針。

 被葬者については同研究所が「舒明天皇(在位629~641年)が最初に葬られた墓では」とみる一方、蘇我蝦夷ら別の有力者の墓との説もある。

 羨道跡は1メートルを超す巨大な壁石を抜き取った痕跡と石組みの排水溝跡で、堀跡の約65メートル南で見つかった。幅は2.6メートル。石室の規模は石舞台古墳を上回るとみられる。

 墳丘の下層で6世紀後半の集落跡を、墳丘の盛り土から7世紀前半の瓦を発見。過去の調査で堀の堆積土から7世紀後半の土器が出土しており、同研究所は「7世紀前半以降に集落を潰して築造し、7世紀後半に廃絶した」と判断している。

 舒明天皇天智天皇中大兄皇子)の父。日本書紀によるといったん滑谷岡(なめはさまのおか)に葬られ、その後に押坂陵(おしさかのみささぎ)に改葬された。押坂陵は宮内庁が舒明陵として管理する段ノ塚古墳(奈良県桜井市)とする見方が有力。

2017/3/1 20:07    日経新聞