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大橋巨泉さん死去 テレビ司会者、82歳

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大橋巨泉さん=2012年11月

 テレビ司会者として知られた大橋巨泉(おおはし・きょせん、本名大橋克巳〈おおはし・かつみ〉)さんが、12日午後9時29分、急性呼吸不全のため千葉県内の病院で死去した。82歳だった。葬儀は近親者で営んだ。後日しのぶ会を開く予定。喪主は妻寿々子さん。

 東京都出身。早稲田大政経学部を中退後、ジャズ評論家、放送作家を経て1966年に深夜番組「11PM」の司会者に。「野球は巨人、司会は巨泉」のキャッチフレーズで売り出し、テレビにギャンブルとお色気の要素を持ち込んだ。万年筆のCMで「はっぱふみふみ」、食品CMでは「なんちゅうか、本中華」という流行語を生み出した。

 69年、全編作り込んだコントで構成された画期的なバラエティー番組「巨泉×前武 ゲバゲバ90分!」で故前田武彦さんと司会を担当し、高視聴率を稼いだ。その後も、「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」など数々の人気番組に出演。競馬やゴルフなど幅広い趣味を仕事にも生かし、多才なマルチタレントとして活躍した。

 90年に56歳で「セミリタイア」を宣言。レギュラー番組を降板し、テレビやラジオの仕事はゲスト出演程度に抑えた。夏はカナダ、冬はニュージーランドオーストラリア、春と秋には日本の自宅で過ごし、ゴルフや釣り、ジャズ鑑賞を楽しんだ。海外で土産店「OKギフトショップ」を経営し、優雅な生活を記した「巨泉 人生の選択」はベストセラーになった。

 2001年の参院選では民主党菅直人幹事長(当時)から口説かれ、同党比例代表で立候補。41万票余を獲得し、同党1位で初当選したが、党との意見の違いから、半年後の02年に辞職した。

 05年に胃がんがみつかり、胃のほぼ半分を摘出する手術を受けた。13年には中咽頭(いんとう)がんと診断され、手術と放射線治療を繰り返した。昨年11月、腸閉塞(へいそく)で入院。闘病生活の傍ら、「徹子の部屋」やラジオ番組などにゲスト出演し、週刊現代では16年7月9日号の最終回まで、休載を挟みながら連載コラムを続けた。

 入院中に子どもを連れてたびたび見舞いに訪れたという長女でジャズシンガーの大橋美加さんは「亡くなる前週は眠っているような感じで、最期も苦しい思いをしなかったと思う」と話す。「個人を尊重する人で、私たちが決めたことには決して口出しをしなかった。子どもたちにとって人生の指針のような存在で、もっと生きてほしかった」と話した。

2016年7月20日13時01分 朝日新聞デジタル

 

「11PM」など名司会者、大橋巨泉さん死去

 「11PM」「クイズダービー」などのテレビ番組の名司会者として一時代を築いたタレントの大橋巨泉(おおはし・きょせん、本名・大橋克巳=おおはし・かつみ)さんが12日午後9時29分、急性呼吸不全のため死去した。

 82歳だった。葬儀は近親者で済ませた。後日、「しのぶ会」を開く。喪主は妻、寿々子(すずこ)さん。

 東京都出身。ジャズ評論家、放送作家を経て1965年にスタートした日本テレビ系「11PM」で翌年、司会者としてデビューした。前田武彦さんとコンビを組んだ「巨泉×前武 ゲバゲバ90分!」や「お笑い頭の体操」などの司会で人気を集めた。また、「はっぱふみふみ」や「ウッシッシ」など多くの流行語を生み出した。

 70年代以降もTBS系の「クイズダービー」や「世界まるごとHOWマッチ」などで高視聴率を取った。

2016年07月20日 11時24分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
 
 
 

異彩放った人生、晩年はがんとの闘病…巨泉さん

 名司会者として知られた大橋巨泉さんが82年の生涯を閉じた。

 黒縁眼鏡をトレードマークに、社会問題からギャンブル、風俗ネタまで語って異彩を放ち続けたものの、晩年はがんとの闘病が続いた。訃報を知った関係者の間で悲しみが広がっている。

 妻の寿々子すずこさん(68)は20日、大橋さんの病状や最後の様子をマスコミ各社などにあてた文書で発表した。

 大橋さんは2013年にステージ4の中咽頭がんを発症後、複数回、手術や放射線治療を受けた。さらに、15年11月の腸閉塞の手術などで衰弱し、今年4月11日に緊急入院した。病状について、寿々子さんは「5月までは希望を持っていた」が、次第に体力の衰えが目立つようになった。7月には眠っている時間が長くなったが、娘や孫たちが見舞うと、目元や口元の動きなどで意思を伝えたという。

2016年07月20日 15時11分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
 
 
 

巨泉さん、自己主張する司会先駆け 「遺言」で首相批判

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大橋巨泉さん

 戦後テレビのバラエティー番組を支えた立役者がまた一人、亡くなった。テレビの黄金期に自由奔放な司会ぶりで数々の名番組を生み出した大橋巨泉さん。活躍中に「セミリタイア」を宣言し、日本と海外を行き来する悠々自適の後半生を送ったが、晩年は病と闘い続けた。

 芸名の「巨泉」は高校時代に使った俳号で、巨人ファンから「巨」、尽きないアイデアのイメージを「泉」に込めたという。

 放送作家として立ち上げに関わった「11PM」では「テレビでいかがなものかと思われていたものを」とゴルフ、マージャン、競馬を取り上げるコーナーを提案。週1回の「巨泉のなんでもコーナー」が始まり、さらに司会の1人に。「野球は巨人、司会は巨泉」というキャッチフレーズと黒縁メガネをトレードマークに人気者となった。「ボイン」という言葉も“発明”し、世に広めた。

 「クイズダービー」では、竹下景子さんを「3択の女王」、正解率が高いはらたいらさんを「宇宙人」と名付け、「せーの、ドン」「倍率、ドン」といったかけ声で盛り上げた。「世界まるごとHOWマッチ」では、石坂浩二さんを本名からとった「兵ちゃん」、ビートたけしさんを「たけし」と呼び捨てにした。くだけたキャラクターと型破りな発言で、自己主張するタレント司会者の先駆けとなった。

 私生活では、1956年にジャズシンガーのマーサ三宅さんと結婚したが、8年で別居し、離婚。その後ニッポン放送のラジオ番組のアシスタントだった寿々子さんと69年に再婚した。

 人気だったレギュラー番組を50代半ばで降板し、生活スタイルを一変させた。「セミリタイア」後は、季候のいい時期の太陽を追い求めるように、カナダオーストラリアニュージーランド、日本を1年で巡る「ひまわり生活」を続けた。「仕事や会社は生きていくための手段ですが、究極の目的は定年後に、自分の人生を演出することです」と語り、将棋やジャズ、ゴルフ、釣りなどの趣味を楽しんだ。

 毎年受けていた人間ドックがきっかけで、2005年に胃がんが判明した。大学時代に母親を子宮がんで亡くした経験から「お袋が自分の命と引き換えに教えてくれた」と健康には人一倍気を使っていた。中咽頭(いんとう)がんやその後の転移で手術や放射線治療を繰り返した。

 1994年からのべ20年にわたって書き続けた週刊現代での連載コラムは、体調不良のため今春から休載。最終回とした7月9日号では「今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません」などと病状を説明し、「最後の遺言」として安倍晋三首相を批判。読者に向けて「長い間ありがとうございました」とつづっていた。

 今年2月の「徹子の部屋」では「畏友(いゆう)」とする永六輔さんと出演したが、4月からの3カ月間は「死を覚悟し、すべてを受け入れ、一言の文句も言わず、痛みも訴えずに、じっと我慢をしてくれました」(妻の寿々子さん)。7月に入ると眠っている時間が長くなり、7日に亡くなった永さんの訃報(ふほう)は「ショックの大きさを考えて」伝えなかったという。寿々子さんは関係者宛てのファクスに「どうぞ大橋巨泉の闘病生活に“アッパレ!”をあげて下さい」と記した。一方で、在宅介護中に鎮痛剤を過剰投与され、病状が悪化したとも指摘した。

2016年7月20日11時54分 朝日新聞デジタル

 

異彩放った人生、晩年はがんとの闘病…巨泉さん

 名司会者として知られた大橋巨泉さんが82年の生涯を閉じた。

 黒縁眼鏡をトレードマークに、社会問題からギャンブル、風俗ネタまで語って異彩を放ち続けたものの、晩年はがんとの闘病が続いた。訃報を知った関係者の間で悲しみが広がっている。

 妻の寿々子すずこさん(68)は20日、大橋さんの病状や最後の様子をマスコミ各社などにあてた文書で発表した。

 大橋さんは2013年にステージ4の中咽頭がんを発症後、複数回、手術や放射線治療を受けた。さらに、15年11月の腸閉塞の手術などで衰弱し、今年4月11日に緊急入院した。病状について、寿々子さんは「5月までは希望を持っていた」が、次第に体力の衰えが目立つようになった。7月には眠っている時間が長くなったが、娘や孫たちが見舞うと、目元や口元の動きなどで意思を伝えたという。

2016年07月20日 15時11分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
 
 
 

テレビ司会の大橋巨泉さんが死去

11PMクイズダービー

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 「11PM」や「クイズダービー」など人気テレビ番組の司会者として親しまれ、「はっぱふみふみ」などの流行語を生んだタレントで元参院議員の大橋巨泉(おおはし・きょせん、本名克巳=かつみ)さんが12日午後9時29分、急性呼吸不全のため千葉県内の病院で死去したことが20日、分かった。82歳。東京都出身。葬儀・告別式は親族のみで行った。喪主は妻寿々子(すずこ)さん。後日、しのぶ会を開く予定。

 2005年以降、胃がんや肺がんを患い、手術を受けていた。7日に死去した放送タレント永六輔さんに続き、放送界を支えてきた大物タレントが相次いで世を去った。

2016/07/20 10:46   【共同通信

 
 
 

大橋巨泉さん死去 昭和のマルチタレント TVの申し子

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1974年11月、対談する大橋巨泉さん(左)と野坂昭如さん=東京都内のホテルで

 「クイズダービー」などテレビ番組の司会者として活躍したタレントで元参院議員の大橋巨泉(おおはし・きょせん、本名克巳=かつみ)さんが十二日、急性呼吸不全のため千葉県内の病院で死去した。八十二歳。東京都・両国生まれ。葬儀・告別式は親族のみで行った。喪主は妻寿々子(すずこ)さん。後日、しのぶ会を開く予定。

 中学時代から俳句をたしなみ、高校生のときには俳号に「巨泉」を名乗り、そのままペンネーム、芸名に。早稲田大学在学中にはジャズ評論で活躍し、放送作家としてテレビの音楽番組などを手掛けた。

 一九六六年に深夜の情報バラエティー番組「11PM」の司会でテレビデビュー。「野球は巨人、司会は巨泉」のキャッチフレーズで、お茶の間の人気者になった。その後「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」などの人気番組の司会を務め、競馬やゴルフの評論でも才能を発揮した。「はっぱふみふみ」などの流行語も生んだ。

 九〇年、体力のあるうちに余生を楽しみたいと「セミリタイア」宣言。一年の大半を海外で過ごすなど自らのライフスタイルを重視する生き方を実践した。

 二〇〇一年参院選旧民主党から比例代表で出馬、当選したが、テロ対策特措法に基づくインド洋などへの自衛隊派遣の承認や安全保障法制などをめぐり、党執行部と対立し、半年後に辞職した。

 〇五年に早期の胃がんが、一三年には中咽頭がんが見つかり摘出手術。その後も、リンパ節や肺、鼻腔(びくう)にがんが見つかり、長く闘病生活を続けてきた。今年六月には「これ以上の体力も気力もありません」と、「週刊現代」に二十年以上続けてきた連載コラム「巨泉の遺言」を終了していた。

 大橋さんは一九九六年九月~九七年二月、本紙夕刊に自伝「この道」を、二〇〇一年八月、朝刊でリレーエッセー「わが街わが友」を執筆した。

◆11PM「野球は巨人 司会は巨泉」

 大橋巨泉さんが草創期のテレビ界に身を投じる契機となったのは、日本テレビの音楽番組で流されるジャズの訳詞だった。これ以降、草笛光子さん主演の歌謡バラエティーショー「光子の窓」を皮切りに、石原裕次郎さんが初めてレギュラー出演したトーク番組「今晩は裕次郎です」などの台本を書きまくり、構成作家としての地歩を築いた。

 一九六五年に放送開始の深夜番組「11PM」には、企画段階から参加。報道中心で堅さの目立った番組のテコ入れで始まった「巨泉のなんでもコーナー」では、テレビでタブーとされていたマージャンや競馬の話題を採り入れて大きな反響を呼んだ。

 翌六六年、司会に大抜てきされ、豊富な知識や当意即妙のやりとりで人気となり、二十年間も続けた。強度の近視だったが、後にトレードマークとなる黒縁眼鏡は当時、レンズのないダテ眼鏡でコンタクトレンズを使用していた。

 難しいことを易しく語る「平易に叙す」をモットーに、政治からストリップまで幅広いジャンルを扱い、硬軟自在に番組を進めた巨泉さんは「『仕事をしたら遊びましょう、遊ぶ方法は僕が教えます』というのがスタンスでした」と話していた。

 同じ構成作家出身の前田武彦さんとの共同司会で一世を風靡(ふうび)した番組「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」では、井上ひさしさんら当代の一流放送作家が練り上げたギャグやコントを実力派俳優が演じる斬新さで脚光を浴びた。

 番組作りで最も重視していたのがキャスティングだった。「僕が一人で考えた番組」と自負していた「巨泉のクイズダービー」では、回答者に漫画家、大学教授を起用。「実は大学教授より漫画家の方が何倍も物を知っているという意外性を狙った人たち」と得意満面だった。

 NHKの人気バラティー「夢であいましょう」を手掛けた永六輔さんを「神」と呼んで敬い、この番組から多くを学んだという巨泉さん。「テレビが家庭の王様だった時代に、自分なりの番組づくりができたことに、誇りと満足感を持っている」と明かした。

 中学生時代に始めた句作のほか、趣味のジャズやゴルフ、ギャンブルなどさまざな分野で多芸多才ぶりを発揮。口八丁手八丁のマルチタレントは、晩年も特定秘密保護法の成立を手厳しく批判するなど「権力」への批判精神を貫く気骨も併せ持っていた。 (安田信博)

東京新聞 2016年7月20日 夕刊