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吉良邸襲撃を幕府が後押し?安兵衛研究者が新説

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 新潟県新発田出身の堀部安兵衛赤穂四十七士が討ち入りをする約1年4か月前に、江戸幕府が吉良上野介こうずけのすけ邸をあえて襲撃しやすい場所に移転させていたとする説を、安兵衛を研究する冨沢信明・新潟大名誉教授(72)がまとめた。

 3月に発行される新発田市の郷土誌に発表する。安兵衛が幕府の重臣と知り合いだったこともあり、冨沢氏は「幕府にはあだ討ちを促す意図があったのではないか」と指摘している。

 冨沢氏が時期の異なる江戸の地図を比較して調べたところ、吉良は江戸城内で赤穂藩主・浅野内匠頭たくみのかみに斬りつけられた5か月後の1701年8月19日、幕府の命令で江戸中心部の呉服橋から本所(現在の両国周辺)へ移転した。移転先の屋敷は、安兵衛が刃傷にんじょう事件直後に2週間居候していた家の隣で、安兵衛は翌年12月14日の討ち入りの際に吉良邸の見取り図を持っていたとされる。

 本所の屋敷にはそれまで松平登之助という人物が住んでいたが、松平は吉良が入居する7日前に下谷広小路(現在の東京メトロ銀座線上野広小路駅周辺)に移転を命じられた。

 下谷広小路の屋敷には8月5日まで旗本の町野酒之丞が住んでいたが、幕府の記録によると、町野は親不孝を理由に幕府に旗本を解任され、下谷広小路を追われていた。町野に移転を命じたのが、新発田藩主の血筋を引く幕臣の溝口摂津守宣就のぶなりだった。宣就には安兵衛の姉の夫が家来として仕えていた。冨沢氏は、当時の手紙などから、宣就は安兵衛と知り合いで、討ち入りを陰で支える重要な役割を担っていたと主張する。

 冨沢氏は、幕府が吉良を本所に移転させるために不自然な明け渡 しを命じていたことに着目し、「幕府は意図的に、安兵衛が土地鑑のある場所に吉良を移転させた」と分析する。吉良邸の見取り図についても、冨沢氏は「安兵 衛は屋敷に元々住んでいた松平から入手したのではないか」と推測している。

2015年01月14日 14時36分 Copyright © The Yomiuri Shimbun